大阪高等裁判所 昭和37年(ネ)92号 判決 1963年6月25日
控訴人 宮本功
右訴訟代理人弁護士 中村益之助
被控訴人 奥山栄二
右訴訟代理人弁護士 前堀政幸
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用(差戻の前後とも)及び上告費用は控訴人の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
原審における証人畑正子の証言、控訴人及び被控訴人の各本人尋問の結果差戻前並びに後の当審における被控訴人本人尋問の結果によると、本件家屋及びその敷地は、もと訴外畑盛一郎の所有で、同訴外人は、昭和二〇年頃被控訴人の父奥山仲二郎に対し本件家屋を期間の定めなく賃貸していたところ、昭和二三年頃控訴人が右畑より本件家屋及びその敷地を買得し、よつて、本件家屋の右賃貸借における賃貸人の地位を承継したこと、仲二郎は、昭和二六年八月二六日死亡し、その子たる被控訴人及び妻たる訴外奥山うのの両名がその遺産を共同相続し、よつて、右賃貸借の共同賃借人となつたこと、賃料は、一ヶ月金三、〇〇〇円であつたこと(もつとも、右賃貸借の賃貸人が控訴人であつて、賃料額が右のとおりであることは、当事者間に争がない。)。
控訴人は、被控訴人及びうのが右のように、右賃貸借の共同賃借人となつたとするも、その後右賃貸借は、うのの承諾のもとに、控訴人と被控訴人間の賃貸借に更改せられたものであると主張するので、この点につき考える。
≪証拠省略≫ の全趣旨を総合すると、被控訴人は、父仲二郎死亡後被控訴人家の世帯主として、本件家屋において、家賃その他家計費一切を負担して、うのその他の家族を扶養し、外部との交際をなし来つたこと、仲二郎死亡後は、主として、うのが被控訴人の出してくれた本件家屋の賃料を控訴人方に持参して支払つていたこと、以上のような関係から、被控訴人とうのとは協議の結果、今後本件家屋の賃借人を被控訴人のみと定め、従つて家賃通帳の宛名を被控訴人宛に記載してもらうため、うのが控訴人に対しその交渉をなすこととなり、かくて、同女において交渉のすえ、昭和二九年一月控訴人と被控訴人の代理人たる同女との間に、同女の承諾のもとに、同月以降は、右賃貸借における賃貸人を被控訴人のみとする旨の更改が成立し、その結果、控訴人が同年一月より一二月までの家賃の通帳を被控訴人名義の宛名で作成したものであること(乙第一号証の一参照)が認められ、差戻後の当審証人奥山春枝の証言、差戻前並びに後の当審における被控訴人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、いずれも前掲各証拠に比照して、たやすく措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
被控訴人は、前記二の(イ)の(B)のないし(E)のとおり主張するけれども、前認定のとおりであるから、これらの主張は、いずれも採用することができない。
そこで、次に、控訴人主張の賃料延滞を理由とする控訴人の被控訴人に対する本件賃貸借解除の当否について判断する。
被控訴人が昭和二九年五月分及び六月分の賃料を延滞したので控訴人が同年七月二八日被控訴人に到達した書留内容証明郵便で右延滞賃料を同月末日までに支払うよう催告するとともに、もし右催告期間内にその支払がなければ、本件賃貸借を解除する旨の条件付契約解除の意思表示をなしたことは、当事者間に争がなく、後記認定のように、被控訴人は、右催告期間内に右延滞の五月分の賃料は、支払つたが、六月分の賃料は、同期間経過後同年八月三一日に支払つたものであるから、特段の事情のない限り、同年七月三一日の経過と同時に右契約解除の効果を生じたものであると一応考えられる。
しかし、被控訴人は、「被控訴人において右賃料を延滞するに至つたのは、当時被控訴人は、病臥中で手もと不如意のため、やむをえなかつたによるものであつたし、しかも、その後間もなく右賃料を弁済したから、右延滞につき、被控訴人には賃貸借における信頼関係を破壊する行為はなく、従つて、右延滞を理由とする控訴人の前記契約解除は、無効である。」旨抗弁するので、この点につき考究する。
≪証拠省略≫を総合すると、前認定のように、本件家屋は、被控訴人の父仲二郎が昭和二〇年頃訴外畑盛一郎から賃借し、爾来被控訴人ら家族とともに、同居し来り、昭和二三年頃右畑に替つて控訴人が賃貸人となり、昭和二六年八月二六日仲二郎死亡し、その共同相続により、被控訴人とうのの両名が共同賃借人となり、昭和二九年一月更改により、被控訴人のみが賃借人となつたのであるが、右仲二郎賃借の当初から昭和二九年四月に至るまでの約二〇年の長期間にわたり仲二郎及び被控訴人らは、賃料を延滞することはなく、誠実な賃借人であつたこと、被控訴人は、昭和二八年四、五月頃から本件家屋において、染色地入業を営み、これにより家族を扶養しおり、附近に多数の得意客をもつているので、本件家屋を明渡して他に移転することは、右営業及び家族の生活よりみて致命的な損失となること、一方控訴人は、本件家屋を必要とするさしせまつた理由はないこと、被控訴人が延滞した昭和二九年五、六月分賃料は、合計金六、〇〇〇円であつて、控訴人にとり、さまで多額なものとは考えられないこと、被控訴人が右賃料を延滞したのは、被控訴人は、従来右営業の収益により、辛うじて生計を維持していたところ、父仲二郎の療養費、葬式費用等の出捐のため、経済的に苦しんでいた上に、右延滞当時被控訴人自身病気にかかり、出費がかさんだため、やむなく、右延滞をなすに至つたものであること、被控訴人は、昭和二九年七月二八日右延滞賃料の催告及び条件付契約解除の意思表示の記載ある前記内容証明郵便の送達を受けるや、即日控訴人方に行き、控訴人に対し延滞について詑び、延滞するに至つた前記事情を述べて近い将来において弁済する旨申述べたところ、控訴人は、本件家屋の件は、弁護士中村益之助に委任したので、同弁護士に対し交渉するよう申し向けたので、被控訴人は、直ちに同弁護士の事務所に行き、同弁護士に対し、前同様申述べたところ、同弁護士は、右契約解除の意思表示を撤回することなく、右延滞賃料を右内容証明郵便記載の催告期間内に同弁護士の事務所に持参支払うよう催促したこと、しかし、被控訴人は右催告期間内である同年七月三〇日に、延滞の同年五月分賃料三、〇〇〇円のみを同弁護士に支払い、同年六月分の延滞賃料三、〇〇〇円は、右催告期間経過後である同年八月三一日にこれを同弁護士に支払つたこと、被控訴人は、同年七月一日以降昭和三一年二月末日までの賃料として、同年八月三一日以降昭和三一年二月末日までの間に毎月金三、〇〇〇円ないし四、〇〇〇円(昭和二九年七月分以降の延滞分を分割弁済のため、月により金三、五〇〇円、四、〇〇〇円の場合があつた。)宛を、昭和三一年三月一日以降は、前同様賃料として毎月金三、〇〇〇円宛を同弁護士に支払つて来たこと、(但し、同弁護士は、これらの金員を賃料相当の損害金として受領している。)、控訴人は、前記のように同弁護士を代理人として、昭和二九年八月三一日同年六月分の延滞賃料を受領しながら、同日同弁護士を訴訟代理人として、本訴を提起したものであることが認められ、≪証拠の認否省略≫右認定に反する部分は、いずれも、前顕各証拠に比照して、にわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
以上認定の諸般の事情を彼此参酌して考えると、控訴人において、僅か一ヶ月分の延滞賃料が催告期間内に支払われなかつたこと、(但し同期間経過後一ヶ月後には支払済)を理由に、被控訴人に対し本件賃貸借の解除権を行使することは、信義則に反し、解除権の濫用としてその効果を是認することはできない。
そこで次に、控訴人主張の被控訴人が訴外伊藤英太郎に対し本件家屋の二階を無断転貸したことを理由とする被控訴人に対する本件賃貸借解除の当否について判断する。
被控訴人が訴外伊藤英太郎に対し本件家屋の二階全部を転貸したことは、当事者間に争がなく、原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、その転貸の日時は、昭和二八年三月頃であることが認められる。被控訴人は「右伊藤が本件家屋の二階に移転した翌日、控訴人は、右転貸を承諾した。仮に、そうでないとするもその二、三日後伊藤が控訴人方へ挨拶に行つた際控訴人は、なんらの異議も述べなかつたから、右転貸については、控訴人の黙示の承諾があつたものである。」と主張する。しかし、差戻前の当審における被控訴人本人の供述中、右主張の明示の承諾があつたとの事実にそう部分は、原審における控訴人本人尋問の結果に比照して、たやすく措信し難く、また、原審における証人奥山うのの証言、相被告伊藤英太郎本人尋問の結果によれば、訴外伊藤が本件家屋の二階に移転した二、三日後、控訴人方へマツチを持参して挨拶に行つたところ、控訴人が不在であり、控訴人方の店員がそのマツチを受取つたことが認められるが、かような事実だけにより、控訴人が右転貸について黙示の承諾をなしたものと断定することはできず、他に被控訴人主張の明示又は黙示の承諾のあつたことを認めるに足る証拠はないから、結局右転貸については、控訴人の承諾は、なかつたものであるというべきである。ところで、控訴人が被控訴人に対し右無断転貸を理由に本件賃貸借を解除する旨の記載のある本件訴状が昭和二九年九月一四日被控訴人に送達せられたことは、記録により明かである。
被控訴人は、右転貸には違法性がなく、仮にそれがあるとするも、本件賃貸借を解除し得る程度のものではない旨主張するのでこの点につき検討する。
賃借人が賃貸人の承諾なく第三者に対し賃借物を転貸した場合においても、その転貸が賃貸人に対する背信的行為と認めるに足らない特段の事情がある場合においては、民法第六一二条第二項の解除権は発生しないものと解するを相当とする。本件についてこれをみるに、≪証拠の認否省略≫の全趣旨を総合すると、被控訴人は、従前本件家屋において、種々の営業をやつたがいずれも失敗し、父仲二郎死亡後は、借金もでき、そのため、被控訴人家の家計は、非常に苦しくなり、昭和二八年三月当時においては、被控訴人自身病気で働けず、病気が少しよくなつてから、就職口を探したがなく、一家はその日の生活にも窮するに至つたので、やむなく、被控訴人は、生活費の一部を得るため、同月訴外伊藤に対し本件家屋の二階全部(六畳、四畳半の二室)を無断で、期間三年、賃料一ヶ月金二、〇〇〇円の約定で転貸したこと、右伊藤は、被控訴人の母うのの弟の妻の親類であつて、当時住居に困つていたものであること、伊藤の家族は、当初は、娘及び息子各一人であつたこと、伊藤が右二階に移つて来た日控訴人は、右うのを通じて、被控訴人に対し右転貸につき詰問したので、被控訴人は、うのを通じて控訴人に対し前記のやむを得ない理由で転貸したことを告知し、無断の点を詑び、控訴人の要求に従い、伊藤をして早急に退出せしめるよう努力する旨約し、よつて、被控訴人は、伊藤に対し右のいきさつを告知し、早急退出方を要求したこと、そのような関係で、伊藤の娘は、二階に移つて来てから、数ヶ月後に結婚して他に移り、息子もその後間もなく、他に転出したが、伊藤だけは、適当な転居先がみつからず、そのまま二階を転借していたところ、昭和二九年八月三一日被控訴人とともに、控訴人から本件家屋明渡等請求の本訴を提起され、昭和三一年七月三一日右二階を明渡すべき旨の敗訴の判決を言渡されたので、直ちに、右二階を退出して他に移つたこと、伊藤が転借中、当初その家族は、既に成長した娘と息子であり、同人ら転出後は伊藤一人となつたので、幼い子供らを家族とする転借人の場合に比し転借物の損傷程度は、遙かに軽微であつたことが認められ、差戻前の当審における被控訴人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前顕各証拠に対比してにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定の事実関係のもとにおいて考察する。被控訴人が本件家屋の二階を伊藤に転貸するについては、やむを得ない事由があり、なお、伊藤は、被控訴人の母方の親類であつて、当時住居に困窮していたので、被控訴人としては、その転借申込みを拒絶し得なかつたものと考えられる。被控訴人は、当初無断で転貸したが、控訴人に対し早速その点を詑びた上、控訴人の要求に従い、伊藤をして早急に退出せしめるよう努力する旨約し、伊藤にも早急退出方要求したので、伊藤の娘や息子は、他に転出するに至つたのである。伊藤が敗訴後直ちに二階を退出して他に移つたのも被控訴人の平素の要求によるものと考えられる。してみると、被控訴人は、転貸後前記約束を誠実に遵守して来たものというべきである。なお、転貸中、前記のように、転借物の損傷は、軽微であつた。以上の諸事情に、賃料の延滞を理由とする本件賃貸借の解除の当否についての前記判断において認定した事実関係のもとにおいて看取せられる被控訴人の控訴人に対する賃料支払についての誠実な行動を彼此参酌して考えると、前記無断転貸を控訴人に対する背信的行為であるということはできないから、その無断転貸を理由とする控訴人の被控訴人に対する本件賃貸借解除権は発生せず、従つて、その解除は、無効である。
以上のように、控訴人主張の被控訴人に対する本件賃貸借の各解除は、無効であるから、本件賃貸借は、なお有効に存続している筋合である。そうすると、本件賃貸借が解除により有効に終了したことを前提とする控訴人の本訴各請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当としてこれを棄却すべきであり、原判決は、これと結論を同じくするから、本件控訴は理由がない。
よつて、民事訴訟法第三八四条、第九六条後段、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井関照夫 裁判官 安部覚 松本保三)
<以下省略>